憲法前文の各文言の解説

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(第一段落第一文)

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

 

ここでは、「主権が国民に存すること」として国民主権の原理を採用すると共に、「日本国民は、・・・この憲法を確定する。」として国民が憲法を制定したこと(=民定憲法性)を表明しています[1]。その上、自由と平和を基調とした基本法の制定を趣旨とすることは、前述の通りですね。

また、「政府の行為によつて」と明言することにより、日本が行なってきた戦争は、すべて政府の意思によって起こされたという反省の上に立つことを明らかにしています[2]

 

(第一段落第二文)

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」

 

この部分が国民主権とそれに基づく代表民主制を宣言しており、自然権の思想に根差していることは前述しましたね。

 

(第一段落第三、四文)

「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」

 

自由主義、平和主義、国民主権とそれに基づく代表民主制の原理は、「人類普遍の原理」であり、憲法以前に存在する自然法である事を謳っています。これは、憲法改正によってもこれらの原理を否定することができない、ということを宣言しているのです。

ちなみに、「これ」や「かかる原理」が、直前の文に登場する国民主権の原理、代表民主制の原理だけでなく、何故自由主義や平和主義をも指し示している事を前提としているかというと、第二文は、第一文が宣言した国民主権の原理が何故採用されるべきか説明を補強するものにすぎず、文章の構造上、「これ」や「かかる」という言葉は、第一段落第一文、第二文全ての内容を受けたものであると考えられるからです。

 

(第二段落第一、二文)

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

 

これは、日本が平和国家として在るべきという日本の在り方を宣言したものです。

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というのは、素直に読むと、戦争の可能性を常に存在しうるリスクと捉え国民の生命・身体の安全を守るための備えをするという(人類の経験則上、極めて合理的な)考え方を否定し、理想主義を貫くという決意です。

また、「平和を維持し、・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」というのは、(他国による平和維持に協力するのみならず)自ら率先して平和の維持に努めるという意思を表明したものです。

 

(第二段落第三文)

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

 

この部分は、平和的生存権という権利の存在を宣言するものなのですが、その内容に争いがあるため、少しだけ詳しく見てみることにしましょう。

この文においては、「われら」は、「確認する」の主語であって、「権利を有する」の主語ではありません。「権利を有する」の主語は、「全世界の国民」です。

ここから、平和的生存権は、日本国民のみならず、全世界の国民」がともに享受すべき権利・利益であり、この権利はとても理念的・理想主義的な権利ということができます。

 

(1)平和的生存権の裁判規範性を肯定する考え方

 

この前文の理念・理想を貫くためには、平和的生存権を裁判規範として認め、人が自らの権利として、裁判所にその救済を求めうるべきだ、と考える立場があります。

この立場には、細かく分けると色々な立場があります。

ざっくりいうと、

❶ 憲法前文の裁判規範性を肯定する立場、

❷ 憲法前文の裁判規範性は原則否定するが、こと平和的生存権に限っては、平和を人権の問題として捉えた憲法の画期的な立場を没却しない為に、裁判規範性を肯定する立場

❸ 憲法前文の裁判規範性を完全に否定した上で、憲法13条を手掛かりとして平和的生存権の裁判規範性を肯定する立場

・・・などです[3]

 

(2)平和的生存権の裁判規範性を否定する考え方

 

しかし、平和的生存権は内実は必ずしも明確ではなく、裁判においてルールとして機能することはできない、と考えるのがおそらく通説です。

平和のうちに生存する権利」というのは、素直に読めば、理念を示すものにとどまり、個人の権利として国家に対して何らかの行為を求める根拠とはなりえないからです。

また、裁判所も最高裁レベルにおいては、平和的生存権の裁判規範性は実質的に否定しています[4]

 

(第三段落)

「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」

 

自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という部分は、日本が過去に採った、排外的な国家主義を否定することを意味しています。逆に言えば、国際主義を表明したものなのです。

 

(第四段落)

「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

 

特に解説するような事はありませんね。

前文において上述してきた内容の実現を誓約しているのです。

 

 

[1] 芦部信喜=高橋和之補訂『憲法』(第四版)岩波書店、平成21年、35頁参照

[2] 粕谷進『憲法第九条と自衛権』信山社出版、平成4年、11頁参照

[3] 野中俊彦=中村睦男=高橋和之=高見勝利『憲法Ⅰ』(第四版)有斐閣、平成19年、155頁

[4] 芦部信喜=高橋和之補訂『憲法』(第四版)岩波書店、平成21年、38頁参照

 

(参考文献)

法学教会編『註解日本国憲法 上巻』(改訂版)有斐閣、昭和28年

芦部信喜=高橋和之補訂『憲法』(第四版)岩波書店、平成21年

粕谷進『憲法第九条と自衛権』信山社出版、平成4年

野中俊彦=中村睦男=高橋和之=高見勝利『憲法Ⅰ』(第四版)有斐閣、平成19年